凛と構えたその姿勢には 古傷が見え
重い荷物を持つ手にも つよがりを知る
笑っていても 僕には分かってるんだよ
見えない壁が 君のハートに 立ちはだかってるのを
蚊の鳴くような頼りない声で 君の名前を呼んでみた
孤独な夜を越えて 真直ぐに向き合ってよ 抱き合ってよ 早く
着かず離れずが恋の術でも 傍にいたいのよ
いつ君が電話くれてもいいようになってる
話す相手も 自ずと狭まってくんだよ
ちっちゃな願いを いつもポケットに 持ち歩いてるんだ
「優しいね」なんて 買い被るなって
怒りにも似てるけど違う
悲しみを越えて 真直ぐに向き合ってよ 抱き合ってよ 強く
いとしさのつれづれで かき鳴らす六弦に
不器用な指が絡んで震えてる
たまにはちょっと 自信に満ちた声で 君の名を叫んでみんだ
焦らなくていいさ 一歩ずつ 僕の傍においで
そしていつか僕と 真直ぐに向き合ってよ 抱き合ってよ
早く 強く あるがままで つよがりも捨てて
おいよぅ。。。 なんでここまでこの歌は俺の心を叩くんだ・・・。
歌うことそれって、ある意味俺の生きる上で大切なもので、
歌ってない自分ってのが、基本的に考えられないのだ。
ちょーっと前までは歌うことがね、大好きで大好きでたまらなかったから、歌ってた。
今は、その歌の持っている力を感じるのが好きだから・・・歌ってる。
歌う理由があるって点では前者も後者も大した差はないんだけど、
理由の中身にちょっと問題があるんだよねぇ。うむ。
前者は「歌うことが好きだから」ってことが歌う理由だけどさ、
後者は「感じるのが好きだから」ってのが理由。
前は歌うことそのものが理由になっていた。その方がいいのかな?
歌に対してちょっと不純・・・とは言わないけど、
完全に裸の自分をぶつけているだろうか?
聞かれたら、考えてしまう。
・・・自分のイメージだけどね。
今の状態って自分の歌のもつ力みたいなものが・・・
弱くなっているんじゃないだろうか??
魂から歌を歌っていないんじゃないか?そう、思った。
ちょこっと器用になっていろんな歌が楽に歌える様になったから、
何かを’或いは余計なことを’感じずには居られなくなったってことなのかな?
うぅむ・・・魂から歌えと戒めを刻むべきか・・・。
と、思うと零れていく「好きだから歌う」っていう原点にある素敵な思い。
人間って考えるたびに、何かが零れていく。
考えれば、考えるだけ。
わすれちゃなんねぇな、原点に戻ること。
戻って、考えて、零れて、戻って、考えて、振り返って・・・
行ったり来たりだけど、なんか答えがみつかりそうじゃねぇか。
今は、みつかりそもねぇけど♪
明日もまた、考えよう。歌のこと。